東京弁

東京生まれ東京育ちのYさんは、
「ふみちゃんは、東京弁でしゃべってるね。あれは明らかな東京弁だね」とおっしゃってました。

え〜〜〜、そうなんですか。意識したことがないです。
というより、意識しても、わたしにはわからないんです。

これはわたしのとっても悔しいところです。

国にいる時は、誰かの一言がちょっとなまってれば、すぐわかるのです、当たり前でしょうけど。
あ、この人は東北の方だね。あ、この人はきっと上海出身だわ。と。

そういう発見は、小さい時からのお友達の楽しみの一つとも言えます。
大學の住宅の中で、いろんな言葉が聞こえます。小さい時から、お友達とそれらを真似するのが、もう生活の一部になっていると言ってもいいぐらい。


その時、とても不思議なのは、そういうなまりのある先生たちが、みんな自分が標準語を喋ってると思い込んでいることです。

明らかに違うのに、どうしてわからないのかな。だからそのなまりの先生たちは、永遠に言葉を直せないのです。


今のわたしは、まさにその先生たちのように、自分の喋ってる日本語がどんな感じなのか、どのへんがどう違うのか、全然自覚がないです。
それに、日本人のちょっとしたなまりは、今のわたしには、あまりよく気付かないです。(もちろん思いっきりの方言だとわかりますが)

悔しい。
昔から楽しみだったことが、今、その耳が利かなくなっている。


もう日本語に対して、おそらく、わたしには、その耳が再び利く日は、もう来ないのでしょう。



保育園の帰り道で、
「ね、ふみ、ママの日本語はちょっとへん?」
「うん」
「え?! 本当?どこ?どこがおかしいの?」
「う…ん、わからない」

そっか、わからない、けど、なんとなくどこかへん、ってことかしらね。


暮れに亡くなったわたしのおじさんは、一生ひどいモンゴル語なまりの中国語を喋っていました。
わたしはおじさんに会うたびに、その口調を真似して、面白くてしょうがなかった。

なのにな…。


ネイル、きらきらのを。