贈りもの
昨日から、ふみはずっと仮面ライダーに変身しっぱなし。
ベルトの携帯電話を、付けては外し、付けては外し、
時々、鳴ってもいない携帯電話を出るふみ。
「もしもし、あ、フリプか。え?またぁー?こっちは怪獣をやっつけたけど、う…ん、13匹だけどね、まあね」
「ふみ、そのフリップって、誰?」
「ふりぷ、 ふりっぷじゃなくて ふりぷ」ふみはそう訂正する。
仮面ライダーダブルの中の人物らしい。
「ママ、聞かせてあげようか」とふみはボタンを押し、素早く携帯電話を装着し、
ビビビ、ビビビ、ジュワジュワジュワとの変身時の音(おそらく)を鳴らす。
聞いた聞いた、何回も聞いた。
「今日は雨だから、外に出たくないね」とふみは言う。
あらま、出たくないより、ベルト付けてうちで遊びたいだけでしょう。
また雨だね〜 寒くて。昨日は暦の上の「啓蟄」、けど、この寒さだと、虫たちも、まだ当分蘇ることができないでしょう。
携帯に残ってた、泊まった大學構内の一枚。
広州での写真を印刷して、故郷にいるおばに送る。
昼寝から起きたふみを連れて郵便局で、それを出す。
帰りにパン屋さんにも寄った。
道端の郵便ポストを通りかかった時、ふみが急にポストに手を入れて、しばらくして手を抜いて、なんだか得意そうに続けて歩く。
「今、なにをしたの?」
「あのね、Yちゃんにね(わたしの姉の名前)、テを送ったの」ふみはやはり得意そう。
え?なになに?
「テ?ふみの手ってこと?」
「うん。Yちゃんにあげるんだ」
「それまたどうして?」
「Yちゃんはね、手がもう一本あったらね、って言ってたから」
そうだったそうだった。
広州にいる時、ふみは姉と仲良く、姉はふみを抱っこしたり、おんぶしたりした。
確かに野生動物園で、歩き疲れたふみは、「Yちゃん抱っこして」と姉に言ったら、姉は荷物とかあるから、おんぶしかできないからと言った時、
「手がもう一本あったらいいな」と言ったね。
ふみ、よく覚えてる。
「ママ、ふみちゃんの手が届いたら、Yちゃんうれしい?」
「うれしいうれしい、そりゃうれしいよ」
(本当なら、うれしいところか、気絶するわ)
「Tお兄ちゃんはなに言う?ラォラォはなに言う?グーラォラォ?」
(ラォラォ:姥姥、お祖母ちゃん。グーラォラォ:姑姥姥、お祖母ちゃんの義妹)
わたしはそれぞれの役のそれらしい言動を真似し、ふみの“手”という贈り物を見た時の反応をやって見せる。
ふみは大受け。
とくにお祖母ちゃんの、片手を額あたりで拝むような仕草をする時、「もう一回やって、もう一回やって」と大喜び。
小さい時から仏教徒の母親は、感激した時や、驚く時や、つまり穏やかじゃない気持ちが湧く時に、必ず手を合わせて、モンゴル語で「仏さま、仏さま」と唱えるのです。
本来は両手を合わせるべきでしょうけど、でも向かってる相手は仏さまではないから、片手で拝むのです。
(この普通じゃない気持ちを湧かして、仏さまよ、わたしに落ち着かせる力を与えておくれ)、という意味でしょうか。
なぜか、ふみはそれが大受け。
「ね、ママ、Yちゃんに僕の手はいつ届くの?」
「う…ん、一番早いEMSだと、3、4日はかかるわ」
先日、知人からkiriというクリームチーズを一個頂き、とってもおいしかった。
乳製品に目がないふみは、きっとこれはたまらないと思って、わたしも買いました。
案の定それを食べたふみは、とってもおいしそうな顔をして、
「んん〜おいしい〜、ママ、おいしいね。ふみに似あわないほど」
噴き出してしまった。
そんな、謙虚なことを。
おいしいものの前には、人は平等ですよ〜