守られて
今日も秋日和、暑くもなく、寒くもない。
「ふみ、どこかで出かけようか」
「じゃ、…、三十三観音」
「わかった」わたしは札所巡りの薄い本をふみに渡し、どの観音様にお参りに行くのか、決めてもらう。
「ここ!」ふみは港区にあるお寺を指さす。
乗り換えも便利そうで、そこを目指して出発。
一番上のリボンが付いてるカボチャの首はびょんびょんバネなので、ずっと頭を細かく振わせてる。ハロウインの到来が待ち遠しいようだ。
銀座で日比谷線に乗り換え、神谷町に着いた。
駅前の地図を見て、何回も確認して、分かりやすい場所だが、なにしろわたしは地図が苦手なもので(@_@;)
それによってたいへんな目を何回も合ったふみは、「人に聞こうよ、人に聞こう」とわたしの手を揺らす。
なんですと?そこまでママを信用してないとは、どういうことかしら!
意地でも聞かないわ。「だいじょうぶだいじょうぶ。まかしときー」
だって、大通りに沿って、次の信号のちょっと入ってるところやもん、何もややこしいことなんかあらへん。
「知らない町って、それなりに楽しいね」
「うん。楽しい」
「道さえ迷わなきゃね」わたしはふみを代弁して言う。
「…」気遣ってるのかしら、ふみは黙っていた。
いいのにいいのに、地図に弱いこと、ママはさほどコンプレックスを持っていないから。
「あ、ローソンだ。さっきの地図の通りだね。そこから曲がればいいよ」あ〜分かりやすくて助かるわ。
「ふみ、写真を撮ろう」。目の前に高い階段があって、携帯を階段に寄りかかって置いて、セルフタイマーを設定すれば、ツーショットが普通に取れます。画面を180度回せば、自分たちが写ってるのもはっきりと確認できるから、カメラより便利。
「ふみ、連写を利用してみよう、だから一回光ったあとでも動かないでね」
ふみと携帯に向かって立つ。セルフタイマーは10秒と設定。
男性が歩いてきて、わたしたちの前に通ろうとする。
二人直立不動なのが不審と思ってたようだが、写真を撮ることに気づき、立ち止まる。
「あ、どうぞどうぞ、10秒もありますから」
「あ、はい、すみません。…、10秒?!あ、やっぱり…」
「でも、すみません」
そうこう言ってるうちに、連写が始まり、「お」「あ」との声の中、写った写真は表情と動きの面白いパラパラ漫画となりました。
大笑いして、男性は「すみませんでした。撮りましょうか」と言ってくれたけど、遠慮しました。写真は、やっぱりふみとふざけて撮ったほうが楽しい。
わりと広い境内を探しても探しても、観音様のご朱印を頂戴するところが見つかりません、どの建物もしっかり締めてます。
奥の屋敷には人影があるものの、道は柵があって通れません。
「あれ〜どこに入ればいいかしら、こんなことあるかしら」
山門を振り向くと、入ったすぐのところに、横に伸びてゆく石畳みの道がある。「ふみ、きっとそこよ、その道で奥に行って訊ねてみよう」
石畳みを沿って、建物のじめじめしてる裏に来た。
あ"、巨大なスズメバチじゃないか!
ふみもそのスズメバチを気づき、「いやだいやだ、こわい」
「ふみ動かないで!下手に動くと返って刺されるよ。蜂は動いてるものに反応するから、小さくなって」わたしはふみを覆うようにした。
「ママ、まだいる?まだ飛んでる?こわいよ」
ゆっくり頭をあげて見てみたら、スズメバチ、まったくわたしたちのことを視野に入れてないようだ。雑木林のところをうろちょろ。
これじゃ、ゆっくりここから抜け出せる!
と、その時、わ"ん わ"ん わ"んと、ものすごい大きい吠えが聞こえた。
真っ黒の大型犬がわたしたちに向かって勢いよく、太くて高い声で吠えてる!
きゃーーーふみと同時に声をあげた。
幸い犬は籠の中にいる。それでもジャンプしてこっちを威嚇してる。
「もういやだ、逃げよう、もう帰りたい」ふみは明らかに泣き声になってる。
わたしも同じ心境だよ。だけどスズメバチを刺激しないように、ゆっくり撤退しないと。
入口に戻って、少し落ち着いてから、わたしは本に乗せた電話番号にかけることにした。
と、その時、「あの〜」奥の屋敷からの声だ。
「は〜い」
「観音様のお参りですか?そこのインターホンを押さないと」年配の女性でした。
イン、インターホンなんかありましたか?!
よくよく探してみたら、お堂の扉に、大きい紙で「墓地募集」と書いて、その隣りに、小さい古い紙に「観音様のご朱印はインターホンを押してから…」とありました。
「墓地募集」ばかり目には入ったが。
さっそくインターホンを押す。
しばらくして、「はい」との応答がありました。
「すみません。ご朱印を頂戴したいのですけど」
「お待ちください」
待ちました。なかなか出てきません。
「もう一回押そうか」と言うふみを見て見たら、顔に蚊が止まってる!
払いながら「顔に止まってるのに、気付かないもんかね」とわたしは言うと、
「あ、ママだって」
うそ!
きゃーーーこれはこれは、顔どころか、手も足も首も、蚊たちが吸い放題を行なってるわ!
お互い蚊を払う。しつこい蚊を、わたしは力を入れて叩く、血が出る、わたしの血だわ、ただでさえ貧血なのに、腹立つ。
なんかもうヒステリ状態だわ、ピシャパシャ、観音様のお堂の前というのに、殺生してる…
やっとお堂の扉が開いてくれた。(>_<)
案内されて、観音様の前に、ふみと正坐するけど、一連のハプニングにより混乱した気持ちは、なかなか静まらない。
朱印帳を持って中へ行った若い女性がなかなか出てこないおかげで、長い時間観音様とご対面。
ようやく落ち着いてきました。
途端、滑稽になってならない。わたしは手を合わせたまま、笑いだした。笑いだしたらもう止まらない。涙でそうになるほど、わたしは滑稽と感じて堪らなくなってる。
ふみはあまり笑わなかった。くたびれたようだ。正坐した姿勢から、だんだん五体投地のような姿勢になった。
しばらくしてふみは起き上がって、「ママ、観音様や仏様は、なんのためにあるの?」
「なんのため?そうね〜なんのためだろう」わたしのこころがまた宇宙に浮遊中。
「わたしたちを守るためでしょう?」
「守るため…、そうだ、そうだよ、その通り」正気が戻って来た。
うん〜 うん〜 目の前に黒い影がよぎる。
蚊だ。
「ママ、蚊だよ蚊」
「うん」いくらなんでも、観音様の真っ前で、殺生をしてはならぬ!
「ありがとうございました」
観音様にお礼をして、ふみと玄関に移動。
案の定、その大きい蚊も尾行してきた。
うん〜 うん〜
ふみと正坐して動かないが、目だけ蚊をしっかりと追う。
チャンスきたぁー
手をあげて蚊を叩こうとする前に、もう一度観音様の位置を確認し、見えてないと確信してから、パチーン、的中。
アルコール・ウェットティッシュで手を消毒してる時、
若い女性が朱印帳を持って現れた。
ふみは蜂もいて蚊もいることを訴える。
「そうなのよ、今年は猛暑だったから、蚊も蜂も例年より…」
猛暑って、案外便利ね。
駅に戻る足は、二人とも重くて。
来る時は、愛宕神社に向かう広いトンネルが見えて、お参りをしたら行ってみようねと、二人で楽しみにしてたが、
今、そのトンネルを見て、誰も行こうと言い出せません。
地下鉄に乗って、最寄の駅に帰ってきた。
「あんなこと、もう二度と味わいたくないね」ふみは、しみじみと。
同じくです。
「そうだふみ、フランスパン屋さんのレストランに行こうよ、この前ママ食べたの、おいしいよ〜」
美味しいものを食べたら、恐怖体験の記憶がどこかに消えていくのかもしれません。
ふみはサーモン、わたしは生ハムを。
「ふみ、おいしい?」
「眠い」
ふみは終始椅子に背もたれして、時たま目をつぶる。
せっかくのお料理なのに。
「しょっぱいよ」ふみは噛みながら目を開いた。
「シーだよシー、失礼よ、お店でこういうことを言うのは」わたしは声を低くしてふみを制止した。
ここの小麦粉も水も他の材料もフランスからの輸入、日本で食べるのと比べて、やや濃い目かな。
ふみはまた目を閉じた。
うちに着いて、ふみと昼寝をした。(確かに昼寝、気を失ったではなく)
目覚めたら、二時間が過ぎた。
3時のおやつを食べながら、ふみは「ママ、夢でもあのスズメバチや犬が出て来た、こわかった」
笑って許しましょう。同時に、観音様の前に殺生したことも許してもらいましょう。