蛙・沈丁花

夕べからの強い北風のおかげで、洗濯物はよく乾いてる。

それを畳んでるわたしのところに、ふみがやって来て、「僕のその靴下、もう緩くて、だめになってるよ」
「そう〜」本当だ、もう靴下の形がわからないぐらいだわ、「じゃ、ゴミ箱に捨ててきて、お礼を言うの忘れないでね」

ふみの服とか、一、二ケ月にもうダメになったりする、ぼろぼろのを捨てる時、わたしはいつもふみにお礼を言うようにさせてる。

ふみはその靴下を両手に捧げて、「長い間ありがとうございました。僕の足を守ってくれて…」、ここまで、ふみは次の言葉も動きもない。

どうしたのかなって、ふみを見てみたら、ありゃ、ふみ、涙をこらえてるではありませんか。
へぇ〜、いつも靴やズボンを捨てる時にこうしてたのに、今日はどうしちゃったのかしら。


「ふみ、泣いてるの?」
「泣いてない!なにもないよ。この靴下、今日も履く」
「え?ゆるくないの?」
「いいの、今日も履く!」


お友達に柔道の技をかけたり、
古い靴下のために涙をしたり、

訳わからないや。



保育園用のパジャマ、もう小さくなって、買わなくちゃいけない。
最近ふみは、急に服のボタンの掛け締めに興味が湧いてきたようで、これまでは、やたらとボタンの服は嫌がるけどね。
うちのパジャマはもうボタン式にしてる。
保育園の買うなら、ボタンのにして、とふみが。


午前早く、ふみと出かける。

「ママお願い、神社の池に行きたい、ちょっとだけでいいから」

という訳で、久しぶりに神社の池へ。
行ってみたら、まーびっくり。おおきいおおきい蛙さんが、たくさん!


その池には、鯉と亀しかいなかったのに。


そうだ、去年の夏、ふみが言ってた、保育園の先生と一緒に、保育園で育ったオタマジャクシたちを、神社の池に放生した、と。


「ふみ、オタマジャクシを流した時、神社の方に言ったのかな、知らないじゃない?」
「う…ん、先生言ったんじゃない?」
「そうかな、言ってないなら、すごい迷惑よね。ゲロゲロゲロって、うるさいよ」
「え?本当にそう鳴くの?僕、ほしいな、ねママ、今度網を持って…」
「考えないで!絶対無理」
「なんで〜、ほしいのに」
「ダメダメ。それより、牛ガエルって知ってる?大きいよ。鳴き声もすごいの。ある人がね、初めて牛ガエルの声を聞く時、その池の近くに工場があって、中の機械の音かと思ったの」
「牛ガエル?どこにいるの?ほしいほしい」

話題をずらしたかと思ったら、こりゃもっと大変な話しになったわ。


パジャマや鉛筆などを買って、昼ごろ、地下鉄駅からの帰り道に、ふみとお喋りしてたら、うん?これは何の香り?
ふみも気付き、
二人は過ぎた道を戻り、わ〜こんなに繁ってる沈丁花を、なんで見逃がしたんだ?

「咲いてる!早くない?まだ2月だよ、あ〜、なんていい香り」
「僕もかぎたい」、ふみを抱っこして、香りをかいで、「本当だ、あ、ここも咲いてるのあるよ、あ、ここも!」

うちに帰ってちょっと休んで、また出かけ、今度はふみの水泳。


水泳の帰り、土手の下に、やはり沈丁花が咲いてる。


誰かのでもないし、雑木林って感じよ、と自分に言い聞かせ、一枝をいただいた。

飲んでるペットボトルのお茶を急いで飲み干し、駅の化粧室でそれを洗い、お水をいっぱい汲んで、
沈丁花を挿した。


ふみと順番にその沈丁花の香りをかぎながら、帰路へ。

もちろんうちに着いたら、沈丁花はペットボトルではなく、ちゃんと花瓶に生けたよ。


ベランダの花たち、気温の急変化の中でも元気。