ハモニカ

夜中、ふみが咳込んで、なかなかおさまらず、みんなよく眠れなかった。


あの寒い何日間、保育園で、外で遊ぶ時、ジャンバーも着ていなく、薄着のままだったそうです。


登園道で、あれだけ念を押して言ってたのに、「まだ咳が治ってないから、もし外で遊ぶのなら、必ずジャンバーを着ること」と。


最高気温が10℃もない中、ジャンバーも着ないで…。咳しないほうが難しいわ。


これで懲りるかな、いや〜、治ったらすぐ忘れるよ、きっと。自分の小さい時を思いだしてみると。
子供って、大人の忠告を聞かないという生き物でしょうね。
大人が賢者の忠告を聞かないと同じく。



今日は昨日よりさらに暖かい、風もなくて、穏やかそのもの。


ふみとスーパーの朝市にお買い物へ。

「よぉー、柔道まだやってる?」
スーパーのお兄ちゃんです。

「うん、やってるよ、水泳も」

「そう、警察署で剣道も教えてるね。小学生になったら、剣道もやったら?」お兄ちゃんは今度わたしに向かって、「柔道やってると、耳を気をつけないとね、カリフラワー耳になるから」
「カリ…。いやだ、耳がつぶされる、ってことですね」
「あ、ぼくたちはカリフラワー耳と呼ぶんだけど。かわいそうって言えばかわいそうだけど、あれって、男の勲章とも言えますからね」
「男の、勲章?」
「ええ。かっこいいじゃないですか。そういう耳してると、まずイジメられないからね、こいつ、つえぇなって、わかりますから、ま、女の子が引いちゃうかもしれないけど、はははは」
「へぇ〜」
今まで、ああいうつぶされた耳を、たいへんだなとしか思ったことがないですけど、角度を変えれば、勲章とも見えることですね。


でもふみは、その勲章、付けなくていいからね。


しかし、ふみの咳、何とかしないとね。
日曜日だから、薬局に行くしかないわ。


小児用の咳止めシロップを購入、さっそくふみに飲ませました。


今日が啓蟄とのことで、ふみと虫探しに行くと、昨日話してたけど、咳してるしね。

でもふみは、行くと言い張る。
しかも、たとえ、それで火曜日のバス遠足に行けなくてもいい、とふみが。


火曜日は、年長組といっしょの「お別れ遠足」となってる。
バスでちょっと離れてるところの公園へ、水族館にも行く。

虫のために、その遠足を行かなくてもいいとふみが言ってる。
「ママだって、モグラに会いたいでしょう」とふみは補充する。
確かに、昨日ママはそう言った。


そこまで言うのなら…。


迷った挙句、九段の北の丸公園へ向かうことにした。
歩いてるうちに、どんどん暖かく、いや、暑くなってきました。

ふみは服を脱いだり、着せて、また脱いだり。
北の丸公園も、お散歩やピクニックする人が結構いました。



ふみは池に直行。


「あ、蛙の卵だ!」

本当だ!あのくねくねしてる管、蛙の卵だわ。
こっちもあっちも、こんなにたくさん!夏になると、ケロケロ大合唱だね。


池から、ちょっとした林に入って、もうふみは大興奮で走り回る。


コンクリートじゃなくて、柔らかい土を踏んでいると、心がほぐれる。





「ふみ、このお花を見て」「このお花も見て」
もうわたし、いい加減に植物の名前を覚えないとね。


ふみは、もぐら探しに夢中。


盛り上がってる土は何ヶ所もある。
もぐらの仕業だと、腐葉土を作るおじさんが教えてくれた。だけど、そのもぐらの姿というのは、なかなか見れないものだ。
「誰も見たことがない。面白いでしょう」とおじさんが。


これは、もぐらが掘った穴に違いないわ。

ふみと続けて掘るが、ほんとうに出てきたらどうしようと、怖くなってやめた。


苔好きのわたしです。

持って帰って育てようと思ったけど、でも片手で、ずっとこうじゃ。
あきらめました。


啓蟄に発見した唯一の虫さん。

まさか、何か植物の種じゃないんでしょうね。



武道館、とんでもない長い行列。

警備員さんに、どなたのコンサートかと尋ねて、一度も耳にしたことがない歌手らしき名前を教えてくれた。


指さした先にある大きい看板に、その歌手の写真も名前も書いてあった。
やっぱり全く知らない人でした。


道端に、その歌手のグッズや写真を、長時間待って入手できた人々が、地べたに座り込んで、お互いそれらを見せ合ってる。


神社入った。日曜日にここで行われている骨董市が、わりと好き。
買うより、見るのが好き。
古い品々から、歴史とそれぞれの物語を感じたい。


懐かしいバリカンだ!

オバのうちにありまして、従兄弟たちの髪はこのバリカンによって、板の床にパラパラと落ちてった。
刃が鈍くなると、「痛い痛い」と髪を挟まれる従兄弟が騒いでました。



一匹の虫も捕まえていないため、記念にふみにこのキーホルダーを買ってあげた。

たくさんの虫キーホルダーの中、ふみは、もっとほかのがよかったのですが、「毒々しいよ」「足が多すぎる気持ち悪い」「夢にでそう」などのママからの理由で、却下された。


でもこの蜂(蜂でしょうね)、ふみは喜んでました。



「これはメダマだもんな、売っちゃだめよな」
一人の男性の大きい声が聞こえる。
上下黒っぽい装いで、中の白い衿が立てられ、髪型も顔立ちも、あの筋の人だと、わたしもわかった。男性の後ろに、もう一人同じ感じの男性が立っている。

男性は、大きい仏像らしき頭部だけの売り物を指して、持ち主に話かける。

ちょうどわたしとふみがすれ違うところで、男性はわたしに、「な?」と意見を求めるように言った。


「はー、ええ」と笑顔で答えて、できるだけバレないように歩くスピードを上げた。


もう、骨董は見ないで、帰ったほうがいいとわたしは思った。
ふみは面白くなってきたようで、納得いかない。
「だって、そろそろおやつの時間よ」
「そこのたこ焼き食べる」とふみが。
「ここで食べないよ。疲れたでしょう、外にでて、喫茶店を探そう、座りたい」
ふみもわたしも疲れた。ずっと歩いてたからね。


出ようとした道を歩けば、先に、さっきに男性とその付き添いの人が歩いてる。

どうしよう、まあ、だいじょうぶよ。

黙ってふみとその男性を通り越した。
その時、「ちょっと」と、その男性の声がした。


わたしたちですよね。すぐ近くにほかの人は歩いてないから。

「はい?」と、わたしは立ち止まって振り向いた。
「坊やは、たこ焼き食べない?」男性はたこ焼きのパックを持ってた。
そういえば、さっき後ろから見ると、男性の周りにふわふわの何かが飛んでました。たこ焼きにかけてる鰹節なんだ。


…。困ったな。
この場合、食べても食べなくても、どっちもややこしくなるんだな。


「あの…」わたしは言う「ここで食べないほうがいいと思います」
「え?」
「ここで、食べないほうがいいと思います」
「なんで?」
「境内、ですから」
「あ、そっかー、そうだよな」
男性は額にある二本の深いシワを上げて笑った。そして後ろを振り向いて、「おい、食べないほうがいいよ、ここは」。
「では、失礼します」わたしは微笑みました(だと思います)



ふみの手を繋いで、振り向かない。まっすぐに歩く。
「ふみ〜〜、ちょっと怖かったね〜〜」
「なんで?」
そうか、ふみは、まだまったく意味がわからないのね。



どこかから、ハモニカのメロディが聞こえました。
中国の歌「彩雲飛」。郷愁の歌。
一人のおじいさんが吹いてます。

近づいて楽譜を見てみたら、「南からのお嫁さん」と日本語で書いてあった。


悲しげなハモニカの音色の中、ふみと夕陽に向かった。帰路へ。