お手紙
登園道で、ふみが突然、
「昨日、お弁当を食べる時、Nちゃんが、ぼくのウルトラマンおにぎりを、ひつじ?と言った」
「あははは」
「ぼく、もうNちゃんなんか、きらい」
「えぇ〜 そう?ママはNちゃんがなかなかおもしろいと思うけどね。考えたら、ウルトラマンって、ひつじに似てるのかも。うん〜、Nちゃん、センスありますね、みんなと同じことを言わないところも、素晴らしいじゃない」
ふみ、もうちょっとココロの余裕を持ってほしいな。
今日はわたしのお休み。
寒さの中、新宿までお散歩。
猫よけかと思ったら、よく読んだら、猫の体調を整えるために食べさせるハーブ。
猫って、草食でしたっけ。
夕方、いつもの水曜日と同じに、ふみとU君をお迎えして、柔道道場へ。
U君は相変わらず見学、ふみは相変らずはしゃぐ。
U君のこと、もうなにも言わないことにすると決めた。
U君のママは、もしかしてU君が見学でも一生懸命お稽古するでも、どっちでもいいのかもしれない。
他人わたしが、これ以上頑張ったって、なんの意味もないでしょうね。
あと少しでU君はもう6歳、普通の6歳の男の子なら、道場に来て、何もしないで、そこで立っているだけで、みんなにヘンな目に見られて苦痛なんでしょう。
けどU君は、それが平気で、お稽古が苦痛、なんだね。
だからもう、わたしは何も言わないことに。U君とそのお母さんさえ望んでいれば、これまで通りに、お茶を二本買って、二着の柔道着を引っ張って、U君を連れて来ます。
せいぜいあと一年、来年の4月はそれぞれの小学校へ行くのですから。
一緒に柔道をやってるK君は、ふみに“お手紙”をくれました。
K君は、ふみと同じ歳で、月齢は、遅生まれのふみよりもっと遅くて、長身で、端麗な顔立ちの子なんです。
性格は、ふみと正反対。
ふみはいつも戦おうとか、一位になりたくて頑張るとかに対し、
K君はいつも穏やかな笑顔で、常にみんなの後ろへ後ろへ下がっていくタイプ。
うちでは、玩具の解体してまた組立てるのを、一人飽きずに黙々とやると、そのお母さんが。
「じゃ、器用なんですね」とわたしは言うと、
「まあ、器用って言えばそういうところがあるかもしれないけど、でもやっぱりもっと活発でいてほしいよ。これじゃ小学校に行ったら、確実にいじめられるわよ」
K君のお母さんは、K君のそういうところが、とっても心配で、だから柔道をやらせて、少しでも積極的に、前向きに、強くなってほしいと思ってるのです。
わたしと並んで座って、柔道のお稽古を見ているお母さんは、いつもハラハラの様子を隠せない。
「なにやってるの、K!帯、取れてるよ」
「向こうのお兄ちゃんが空いてるんじゃない、行けばいいじゃない!」
と叫んでしまうこともしばしば。
K君は「えぇぇ〜」と言って、体をもじもじさせながら、にこにこして動かないのです。
K君のお母さんはたまに我慢できず、近づいてK君を叱ります。
お母さんに叱られ、K君はシクシク。
「もう、すぐ泣くんだから、ほんとうにしょうがないわね」
わたしは、K君のお母さんに負けないぐらい、ハラハラしています。
わたしのハラハラの理由とは、ふみのK君へのやり方であります。
ふみの帯が取れてるであろうが、上半身はだかにしてるであろうが、わたしは口を出すことは、ありません。
もちろん言葉がもう喉まで来て、それを飲みこんだことは数えきれないんですけど。
稽古中、ふみ、よくK君と組むのです。
ほとんどの場合、ふみがK君を押え、K君は身動きが取れない状態です。
長く、その状態が続きます。
動かないK君を見て、つまらないと思ったか、ふみはK君の耳を引っ張ったりもして。
すると隣りに座っているK君のお母さんの気持ちが、洩れなく、わたしに伝わってきます。
「ふみ、適当でいいから早く手をはなして!」と心の中で願いながら、デジタルの時計のカウントダウンを見つめ、わたしは苦しくさえなります。
帰り道に、決まってふみに、
「K君をそうやっちゃダメ!」とわたしは言います。
「なんで?!」とふみは反発する。
「K君が嫌がってるじゃない!」(K君より、K君のママが)
「K君、笑ってるよ」
「ダメと言ったらダメなの、もうあなたはこれからK君と組んぢゃダメ、違う子とやって」
「なぁんで?!」
「ふみ、お願い、ママの気持ち考えて。ママはK君のママと一緒に座って、一緒にふみたちを見ている、あなたがそうやってるの見ると、K君のママが苦しいの、それが理由!それがすべて!」
「なぁんでだよ、真面目に練習してって、先生言ったよ」
「じゃ、あなたが下にいて、K君に押さえられてればいいじゃない、K君より強いんだから、それぐらい譲ってよ」
「やったよ、でもぼくすぐ逃げたよ、K君弱いもん」
…
どう説明したらいいかな。どう説明しても、ふみは理解ができないのだろう。
ママ同士のこの気持ち。ましてや配慮するなんて、もっと無理でしょう。
なんか、ふみもU君も、もう…。柔道に行くの億劫になるほど。
今日、道場に着いた途端、
K君がにこにこと近づいて、「ふみ君に」と、ふみに“お手紙”を渡してくれた。
「ぼくに?やったー、二枚もあるの?全部僕に?やったー」
柔道終わって、うちに着いて、ふみさっそくK君からのお手紙を取り出して、ハートがいっぱい描かれて、「ふみくん、だいすき」とのひらがなが!
なんか、こころがキュンっとなって、涙がでそうになったわたしでした。
「だ、い、す、き、大好きって書いてるよ、ハートもいっぱい、やったー」ふみがとっても嬉しそうで、その二枚の紙を、何回も何回も眺めて、口を閉じることができない。
「ふみ、うれしいでしょう」
「うん。だって、こういうの初めてだからね」
夜寝る時も、ふみはそのお手紙を握りしめたままでした。
K君、すっかりふみのこころを掴んだようです。
「柔を持って、剛を制す」という中国の兵書の言葉を思い出す。
いつもふみに話している。一見強いものは、案外脆い、一見柔らかいものが、案外本当の意味の強さを持つ。
例えば、水。
弱いように見えるが、容器によって形状を変え、生き残る。
弱いように見えるが、長く一ヶ所に垂らすと、石だって穴が開く。
ふみはそれを全く気にしない、というか気に入らない。
でもいつか、上善如水の真意を理解し、納得する日がくるのだろう。
柔道が終わって、疲れたはずでも、ふみは宿題を文句いわずに最後までやった。
柔道にしても、水泳にしても、塾にしても、やりたいと言い出したふみは、もうやりたくないとか、やめるとか、一回も言ったことがない。
そういうふみの強さは、いつも挫折する前にとうに諦めるわたしは、とても感心しています。
けさ、元のバケツから、だいぶ離れたところでザリガニを発見。もちろんもうこの世のものではないが。
ふみと、今度の土曜日に、土手に埋めに行かないと。