月と歩く

「おつきしゃまみて、おつきしゃま!」とのふみの叫び声で、主人も私も窓に行ってみた、そうしたら、昇ってきたばかりの月が目に入った。

十五夜ではなく、十七の月だけど、まだ充分真ん丸、それに、充分大きい。
主人は一眼レフの望遠で月を撮った。ぶれないようにしっかりと窓の枠に身を靠れる。




「ふみ、お月さまはまるで何みたい?」
「おつきしゃまはまるで…、おしぇんべみたい」
お煎餅!なるほど。確かに、醤油煎餅、もっと言えば、醤油濡れ煎餅みたいね。形も色合いも、模様まで。
しかしふみの世界にはセンチメンタル的なものはないでしょうね。


「ふみ、ママ、ウォーキング、歩きに行くから。涼しいから歩きたいんだ」
「ふみも行く、パパも、三人で」


「じゃ、パパは自転車でふみを乗せて、ゆっくり乗ってね」
「なんでよ、僕だって歩きたいよ」と主人が。
「そっか」


歩くのが好きです。
ウォーキングはほぼ毎晩してました。ふみが生まれる少し前まで。主人と。

よほどの大雨じゃない限り、歩いてました。
調子に乗って、3時間かけて、20キロぐらいウォーキングするのもよくあることだった。


夜に、ふみを連れて町を歩くことは、あまりないんじゃないかな、だからふみにとって新鮮だった。
いつもならすごいお喋りなのに、黙って、光っている車の川を見つめる。
ふみは私と歩く時のように、手をパパに預ける。
ふみと手を繋いで歩くパパは、感無量な様子だった。


パパはふみと外に出ると、ほとんどふみを自転車に乗せて行くのだ。ヘルメットが大好きなふみは、自転車の前の椅子に座ると
「ベルト締めて」と指示をだす。
「ここ降ろして」と手持ちのところをしっかり持って、「ふみの自転車」と喜ぶ。
だからふみの中では、ママとだと歩く、パパとだと自転車。
ふみはどっちも好きなようだ。


主人はふみと手を繋いで歩くのに感激してる
「いいな、うん、いいな、ラクだな。や〜しかしふみ、もうこんなに歩くようになったな、ついこの間まで抱っこばかりで…」
「え?蝉まだ鳴いてるの?この頃聞こえなくなったけどね」と私は高所からの虫の鳴き声が気になる。
「アオマツムシ。セミじゃない。鳴き声違うでしょう」主人は昆虫などに詳しい。
言われてみれば、たしかに声がちょっと違う。

大通りに出て、いつもウォーキングのコースに着き、私は坂のある方を選んだ。ふみはパパと平坦の道を歩く。円を書くように、途中で合流予定。


運動靴とTシャツ、歩きやすいズボン、それに手に荷物など、なんにも持っていない。これだけで気持ちいいや。
私は腕を90度にし、大幅に振り、本格的なウォーキングを始める。


あ〜気持ちいい! 懐かしい〜 
3年ぶりだね。(^o^)/


以前は同じコース同じ時間帯を歩く人が、お互い顔をしっかり覚えたほどだった。
あっ、あれはあの時のご婦人軍団ですね。
いつも3〜5人で、みんなタオルを持って、大声で談笑しながらウォーキングしてた。歩くより、おしゃべりのほうで遥かに体力を使っていそう。
でも今日の軍団は、たったの2人だった。まさか脱走兵が現れた?


あっ、富士の水、今でも売り切れじゃなく、ちゃんとあるんだ。
坂の下がったところに、自動販売機があって、富士の水というペットボトルをよく買って飲んでた。とても美味しい、すいすいと喉に入り込む。


ここは…、確か骨董屋さんだったよね。暗い電気に照らされてる数々の骨董品を時々覗いてた。今は、結婚式用品らしきのお店になってる。


“夢二”だ!すれ違った人の顔が、街灯ではっきりとわかります。“夢二”に違いない。
この方は、私の好きな画家竹久夢二にそっくり。顔だけじゃなく、痩せきった体も、夢二そのものだ。痩身のせいか、軽々とスピートを出して走ってる、少しも苦しさやしんどさを感じさせない。
そうか、みなさんはずっとウォーキングを続けてらしゃるんですね。


“夢二”に励まされ、私は走り出した。
茂っている並木の間から、街灯の光が一定の間隔で差し込む。
次の光まで走る。
その次まで。
その…


こうやって400メートルぐらいじゃないかな、走った。気持ちよく。本当に気持ちいい。


主人からメールをもらって、ふみ、疲れたから、もう折り返す。でもふみは2歳8ヶ月にしては、本当に充分歩いたと。
主人はまだふみの歩くことに感慨してる。


汗が首から流れてくるのがわかる、久し振り過ぎる。


月は、もうお煎餅ではなく、グレープフルーツになった。浅い黄色いの顔で、ビルとビルの間から覗き込む。しかしどんな方向からも顔をだしてるな。
日本に来てから、それまでに頭の中にあった東西南北がなくなってる。特に東京の道、真東真西などがないせいでしょうから。


月の位置が、東西南北を無視してるように見えるのも、いいことなのかもしれない。